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津地方裁判所 平成5年(ワ)82号 判決 1998年5月14日

原告

株式会社伊勢新聞社

右代表者代表取締役

小林千三

右訴訟代理人弁護士

山根二郎

寺本吉男

被告

Y

右訴訟代理人弁護士

倉田嚴圓

大槻一雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞の各朝刊の社会面及び伊勢新聞の第一面左上欄に、別紙一の謝罪広告を二段四分の一の大きさで一回掲載せよ。

二  被告は、原告に対し、金三億円及びこれに対する平成五年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が債権者となり、伊勢新聞を発行する新聞社である原告を債務者として申し立てた記事掲載禁止仮処分申立事件が一部認容され、本訴が提起されたこと、さらにこれらの事実が報道機関によって報道されたことなどによって、原告の報道の自由及び名誉権が侵害されたとして、原告が、被告に対して、不法行為に基づいて謝罪広告の掲載及び損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実

1  原告は伊勢新聞を発行する新聞社であって、原告が発行する伊勢新聞は、明治一一年一月一七日創刊された一二〇年の歴史を持つ三重県下唯一の地方紙であり、その発行部数は、公称およそ一〇万部であり、三重県内のシェアは公称二〇パーセントである。

2  被告は、二度目の挑戦で、昭和六二年に鈴鹿市の市長に初当選し、平成三年には無投票で当選し、平成七年四月まで鈴鹿市の市長であった。

3  平成四年八月末ころから同年九月初めころにかけて、「二六条の説明について」と題する作成者不明の文書(以下「本件文書」という。)が被告及び原告の関係者らに配布された。本件文書は二六頁に及び、その内容は、当時鈴鹿市の市長を務めていた被告と関係業者の癒着、被告による鈴鹿市職員の情実任用及び出入業者の情実登用、公費の乱用、選挙公約違反、被告の女性関係など広範囲の事項にわたっている。

4(一)  被告は、平成四年九月一六日、津地方裁判所に、原告を債務者として、記事掲載禁止の仮処分の申立(平成四年(ヨ)第七八号。以下「別件仮処分申立事件」という。)をした。

(二)  津地方裁判所は、同年一一月一〇日、別件仮処分申立事件について、債権者である被告に二〇〇万円の担保を立てさせた上で、「債務者は債務者が発行する伊勢新聞に別紙『二六条の説明について』と題する文書中、黒枠で囲んだ部分(別紙二記載の五〇か所。以下「本件記載部分」という。)に基づく報道記事及び論評記事を掲載してはならない。債権者のその余の申立てを却下する。」との仮処分決定(以下「別件仮処分決定」という。)をした。別件仮処分決定書(甲三一)には、「債権者の申立ては、主文の範囲及び態様において認容するのが相当であり、」との記載がある。

5  「Yを励ます会」(以下「励ます会」という。)の会長北村六治は、平成四年一一月一二日、同人名義の七頁にわたる「報告書」と題する文書(以下「本件報告書」という。)を作成して、被告の関係者らに配布した。本件報告書には、「二六条文書(怪文書)による個人誹謗記事を書いてはならない―津地裁決定」「二六条文書は虚偽であると断定」「事前差止は憲法に反しないと判断」「事件を形成せずとのCの反論は否定された」との見出し記載のほか、「津地方裁判所のこの決定は現今、流布されている二六条文書(怪文書)の内容が虚偽であることを明確に断定しこのような文書を真実であると考えている伊勢新聞及びC氏がこの文書あるいは類似する文言を引用して、Y氏の個人批判を内容とする記事を掲載してはならないとする厳しい決定である。表現の自由と個人の名誉に関する憲法判断においても厳密に判定し、Y氏の主張を全面的に認めたものである。三重県下唯一の地元紙としての伊勢新聞に対し公正・公明な倫理観念を要求していることが、読みとれる内容として画期的な決定である。」との記載がある。

6(一)  津地方裁判所は、平成四年一一月二〇日、原告の申立てにより、被告に対し、別件仮処分申立事件について、本案の訴えの提起を命ずる決定をした。

(二)  被告は、右決定を受け、平成四年一二月四日、原告を相手方とし、本件記載部分が全て虚偽であるとして、原告が発行する伊勢新聞に、本件文書中、黒枠で囲んだ部分に基づく報道記事及び論評記事を掲載してはならないとする記事掲載禁止を求める本案の訴え(平成四年(ワ)第三〇〇号。以下「別件本案事件」という。)を津地方裁判所に提起した。別件本案事件の被告の訴状には、「偏頗な見方で思わせぶりな表現を用いて、鈴鹿市と原告(Y)を批判する記事を連載した。」「被告(伊勢新聞社)が『二〇条の説明について』と題する書面の黒枠で囲んだ名誉毀損部分の全部または一部の真実性に十分な配慮をせず、法的に要求される程度(真実性または真実と信じるに足りる相当性を裏付けるに十分な程度)に到らない取材によって、これらの名誉毀損部分を用いて原告(Y)を個人攻撃する動機も可能性も十分にある」との記載がある。

7  被告は、津地方裁判所において平成五年一月二一日に開かれた別件本案事件の第一回口頭弁論期日において、訴状の陳述を留保した。原告は、答弁書に、「伊勢新聞社としては、事実の存否を確認するための取材もしないまま、この出所不明の『二六条の説明について』と題する文書に“基づいて”報道記事や論評記事を書き、これを伊勢新聞紙上に掲載する考えはこれまでにもなかったし、現在もそのことに変わりはない。」との記載をし、答弁書のほぼ全文を平成五年一月二二日付の伊勢新聞に掲載した。被告は、同年三月一日に別紙仮処分申立事件及び別件本案事件を取り下げたが、原告が別件本案事件の取下げに同意しなかったため、平成五年三月一一日に開かれた別件本案事件の第二回口頭弁論期日において、請求の放棄をした。

二  争点

被告が、原告に対して、申し立てた別件仮処分申立事件及び提起した別件本案事件などにより、原告の報道の自由及び名誉権が侵害されたか否か。

1  原告の主張

(一) 報道の自由の侵害

(1) 表現の自由を保障し、検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、表現行為の対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判に関するものである場合には、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されない。

にもかかわらず、被告は、別件仮処分申立事件及び別件本案事件において、原告が掲載を予定していない本件記載部分に基づく報道記事及び論評記事の掲載の差止めを求めたものであって、表現行為に対する事前抑制が許容される要件を逸脱し、原告の報道の自由を著しく侵害した。

また、被告は、報道機関のうち、本件文書の存在及び配布について何らの関わりもない原告に狙いを定め、別件仮処分申立事件を申し立てたものであり、作為的な申立てといわざるを得ないし、被告が、別件本案事件を請求の放棄により終了させていることからすると、本件記載部分が虚偽であるという被告の主張は誤りとみるべきであり、被告は、本件記載部分の虚偽性を立証する意思などなく、別件仮処分申立事件に理由がないことを知りながら、別件仮処分申立事件を申し立て、別件仮処分決定を得て、原告の報道の自由を侵害した。

(2) 本件記載部分のうち12番、13番、15番、18番ないし24番、26番、34番、47番ないし50番の記載の中には、評価に過ぎない記載や名誉を毀損するおそれのない記述も存在するところ、原告は、別件仮処分決定によって、それらの記事の掲載を禁止され、報道の自由を侵害された。

(3) 本件記載部分は、第二の一3記載のとおりであって、いずれも、それが真実であるとすれば、被告の鈴鹿市長としての適格性に関わるものであって、公共の利害に関する事項を多く含むものである。

原告は、本件記載部分のうち、取材の結果、事実が確認されたものについては、記事にすることが報道機関の務めであるとの考えのもとに、取材活動を進めていた。ところが、別件仮処分決定は、本件記載部分に記載されている事実について報道記事及び論評記事を掲載してはならないとするものであり、原告は、被告の汚職疑惑など本件記載部分についての一切の報道の自由を禁じられた。原告が、取材活動を進めており、掲載を禁止された事実として、次のような事実がある。

① 本件記載部分15番に関する事実について

平成五年九月当時、政治資金規制法に基づき、三重県選挙管理委員会に届けられている被告を後援する政治団体は、「明日の郷土をつくる市民の会」(以下「市民の会」という。)及び「励ます会」の二つであり、被告が、鈴鹿市長に当選した後も、活動を続けている。

ところで、三重県広報に掲載されている右二団体の毎年の収支報告によると、平成三年度において、三重県の県議会議員下井正也を後援することを目的に設立された政治団体である「豊かな郷土を守るケヤキの会」(以下「ケヤキの会」という。)の七一二万八〇〇〇円の収入のうち、七〇〇万円が被告の政治団体である「励ます会」に寄付されており、三重県選出の参議院議員斉藤十朗を支援することを目的に設立された政治団体である「豊かな郷土を守るサツキの会」(以下「サツキの会」という。)の二八〇万円の収入のうち、二三〇万円が被告の政治団体である「市民の会」に寄付されている。

そして、「ケヤキの会」の会員の多くは、被告が市長を務める鈴鹿市の指名業者で構成されており、同会の収入の大半はこれらの者が納入する月額二万円の会費及び臨時会費(年二回から三回。一回につき五万円。)であり、さらに、「ケヤキの会」の代表者は、被告の実弟であるY'の経営する鈴鹿オフィスワーク専門学校の共同経営者である磐城直嗣、「サツキの会」の会計責任者は、被告の実弟であるY'、「ケヤキの会」及び「サツキの会」の事務担当者は、いずれも被告の妹婿の浜中暢夫である。また、「ケヤキの会」及び「サツキの会」の事務所所在地及び電話番号は、全く同一である。また、平成三年度において鈴鹿市の職員に採用された者の近親者が「サツキの会」に一〇〇万円を、同じく職員採用者の近親者が「ケヤキの会」に二九万円、「サツキの会」に一〇万円の寄付をしており、職員採用時における推薦者となっている者も「サツキの会」に七〇万円、「ケヤキの会」に二九万円の寄付をしている。

以上の事実を総合すると、右「ケヤキの会」及び「サツキの会」は、実質的に被告の政治団体であり、平成三年当時市長であった被告は、他人の名義を借りて密かに寄付を集めていたものとの疑義が生じ、かかる問題は、被告の市長の適格性に絡む問題である。

② 情実任用の事実について

被告は、平成三年度の鈴鹿市職員採用試験において、八五名の受験者のうち、一七名についての推薦者となっているところ、同年度の大卒一般事務職員の採用者三六名のうち、一〇名についての推薦者となっている。被告のほかに被告の周辺者の推薦も含めれば、三六名中三一名について、被告が推薦者ということになる。そして、被告らが推薦した者は、総合成績が三七位以下であっても採用されているが、総合成績が三六位以内であっても推薦者がいない者は不合格となっている。さらに、被告が推薦している総合成績三七位以下の合格者の中には、前記の実質的な被告の後援団体である「ケヤキの会」及び「サツキの会」への寄付者が推薦者として名を連ねている者がいる。

地方公務員法一五条は、情実採用を防止し、地方公共団体の人事行政の公正を確保するための根本基準として、「職員の採用は、この法律に定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基づいて行わなければならない。」と定めているところ、鈴鹿市の職員採用試験において、現職市長が特定の受験者の推薦者となり、被告の推薦を受けた多数の受験者が、同市の職員に任用されている事実は、地方公務員法一五条に違反する疑いが濃厚である。

土地交換に関する疑惑について<省略>

(二) 名誉毀損について

(1) 被告は、別件仮処分申立事件において、原告の代表取締役であったCについて、「原告のワンマン社長であり、既に見たところから分かるように、社会の公器である伊勢新聞に私情を晴らすための記事を執筆して掲載させることなどはいとも容易に行える人物であり、現にそうしている。」などと書き、原告及びその代表者に様々な誹謗や中傷を加えた。

被告は、第二の一5記載のとおり、本件報告書において、三頁にわたり、Cを名指しして、誹謗中傷し、本件報告書を不特定多数人に配布するなどして、あらゆる機会を利用して、別件仮処分決定を誇大に宣伝し、本件文書に書かれている被告に関する様々な疑惑が全て虚偽であることを市民や県民に印象づける行動をとると共に、原告が発行する伊勢新聞やその代表者には「公正・公明な倫理観念」が欠如しているかの如き印象を与える行動をとり続け、原告の名誉を毀損した。

また、被告は、別件本案事件の訴状に前記第二の一6(二)のとおり記載して、原告の名誉を毀損した。

(2) 被告は、ことさら別件仮処分申立事件及び別件本案事件を各報道機関、市議会など各関係機関に公表したため、別件仮処分決定などは、遂一各新聞の報道するところとなったが、原告についてなされた被告の発言は、いかにも伊勢新聞が虚偽の記事を掲載する杜撰な新聞であり、また、原告代表者には報道機関に携わるものとしての倫理観念が欠如しているとの印象を鈴鹿市民や三重県民に強く植え付けようとするものであった。

にもかかわらず、被告が、原告に対する別件本案事件を、請求の放棄をすることによって終了させたため、法廷の場において、被告についての様々な疑惑の真偽が明らかとなる機会が失われ、被告から「原告は、伊勢新聞に虚偽の記事を掲載して被告の名誉を毀損するおそれがある」と宣伝された原告が汚名をそぐ機会が失われた。

(三) 損害及び救済方法について

(1) 前記の被告の行為によって原告が被った損害は、三億円を下らない。

(2) 原告の名誉を回復するための必要な措置として、別紙一「謝罪広告」の掲載が必要である。

2  被告の反論

(一) 報道の自由の侵害について

(1) 別件仮処分申立事件について

① 公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判に関する出版物の印刷、製本、販売、頒布などの事前差止めの許否については、「その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかである上、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限って、例外的に事前差止めが許される」ところ、以下のとおり、別件仮処分申立事件も右要件に該当するものであって、適法である。

イ 本件記載部分は、いずれも虚偽であり、被告の名誉を毀損し、あるいは、被告を侮辱する内容である。

ロ 本件記載部分のみを資料として、これを裏付けるべき、法的に要求される取材をせずして掲載される記事は、この根拠となる資料の有無、これを取り扱う執筆態度などに照らし、専ら公益を図る目的でないことは明白である。

ハ 被告は、別件仮処分申立事件を申し立てた当時、草の根の個々の市民を支持基盤とする現職の市長であったが、本件記載部分に基づく報道記事や論評記事を掲載されれば、善良な市民が被告に対して抱く社会的評価は一転して泥にまみれ、被告が、政治家として重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があることは明らかである。

② 被告は、以下の経緯から、原告が、本件文書に基づいて、報道記事及び論評記事を掲載する虞があるものと考えて別件仮処分申立事件を申し立て、別件仮処分決定に到ったものであり、違法性はなく、過失もない。

<以下省略>

③ 別件仮処分申立事件及びこれに基づく別件仮処分決定によって、正当な報道は禁止されていない。

イ 別件仮処分決定によって掲載を禁止されたのは、その決定の文言が本件記載部分「に基づく報道記事及び論評記事」となっていることから明らかなように、本件記載部分にのみ基礎を置く報道記事及び論評記事の掲載に過ぎず、本件記載部分の内容たる事実について、原告が報道機関として真否を確認するための調査、取材を独自に行い、その結果に基づいて真実性が確認される事実に関して、記事を掲載することは、禁じられていない。したがって、原告の正当な報道の自由は、本件仮処分決定によっても、何ら制限されていない。

<以下省略>

(2) 別件本案事件の提起について

訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解すべきであり、前記の経緯に照らせば、別件本案事件の提起に違法性はない。

(二) 名誉毀損について

(1) 被告が別件仮処分申立事件及び別件本案事件においてなした原告や原告代表者の報道姿勢についての記述は、当該事件と関連性がある事実として主張したものであり、仮に名誉を毀損する内容を含むものであるとしても違法性が阻却される。

本件報告書は、「励ます会」会長北村六治の作成にかかる文書であって、記載内容について被告が不法行為責任を負う理由はない。

(2) 被告が、別件本案事件を取下げ、請求を放棄したのは、原告が、別件本案事件の答弁書において、取材もしないまま「黒枠で囲んだ部分」に基づく報道記事及び論評記事を掲載する考えはない旨答弁したため、これに対応したに過ぎない。

(3) 別件仮処分申立事件は、非公開の手続でなされたもので、それ自体外部に流布されるものではなく、名誉毀損は成立する余地はない。これに関する新聞報道がなされたとしても、それは被告の関与しないことである。

(三) 損害額及び救済方法について

(1) 損害額について

法人には、自然人と異なり精神的苦痛による損害はないから、慰謝料の請求はできないし、また、本件について損害が発生した旨の具体的な主張もない。

(2) 謝罪広告について

被告は、原告の名誉を毀損していないから、前提を欠いている。

第三  争点に対する判断

一  本件の経緯

証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件の経緯について、以下の事実が認められる。

1(一)  被告は、昭和三三年四月に早稲田大学第二法学部に入学した後、昭和三四年に同大学第一法学部に編入学し、昭和三七年に同大学第一法学部を卒業し、昭和三七年四月から昭和三八年一一月まで東福寺に籍をおいて修業をし、昭和四〇年四月七日に父親である令譲が死亡するのに伴って、龍光寺の住職となり、昭和五八年に三重県議会議員になった。その後、被告は、昭和六二年四月二六日に施行された鈴鹿市長選挙に立候補し、草の根の市民を主たる支持基盤として、現職であったD市長を敗って初当選して鈴鹿市長となり、平成三年四月には無投票で鈴鹿市長となり、平成七年四月まで鈴鹿市長職にあった。なお、被告は、昭和五七年に龍光寺の住職を辞し、被告の実弟であるEが同寺の住職に就任している(甲九二、乙八、三〇、三八、八〇、八五、八六、九七、被告本人)。

(二)  Cは、昭和五五年一二月に原告の代表取締役に就任し、平成七年に死亡するまでその職にあったが、その間、原告において、伊勢新聞の編集局長を兼務するとともに、自らも大木主水之介のペンネームで「昭和日本外史・昭和青年日本の詩」、連載小説「白雲」などを執筆するほか、「伊勢新聞社社長C」として論評記事などを執筆してきた。また、Cは、自由が丘住宅及び亜細亜エンタープライジズの代表取締役を兼務し、現在の原告の代表取締役であるC'は、自由が丘住宅の代表取締役を兼務しているが、同人は、Cの子である(乙二、三、四の1ないし10、六五の1及び2、七七、八〇、証人山本藤雄)。

2  Cは、昭和六二年四月に実施された鈴鹿市長選挙の際、被告の支持者となり、C'を被告の選挙運動員として選挙事務所に常駐させ、対立候補であるD側を批判する記事を伊勢新聞に掲載し、右新聞一万一〇〇〇部を代金六六万円で被告の選挙事務所に持ち込むなどして、被告を支援した(甲三一、乙八、九、三八、七七、八〇、被告本人)。

3  ところが、Cは、昭和六二年の鈴鹿市長選挙後、被告の対立候補を支持していた三重県第一区選出の代議士との関係修復のためと称して、被告に対し、「代議士との仲直りのためのパーティーをしてやる。一人一万円で一万枚のパーティー券を売るつもりだ。あんたは、三〇〇〇枚持て。自分には七〇〇〇万円くらい入るので、是非『うん』と言ってくれ。」との申出を何度かしたが、被告がこれを断ったために、被告に対し、「人の金儲けを助けられない奴が市長といえるか。」と非難した(乙八〇、被告本人)。

4  鈴鹿市は、昭和四一年一一月一二日に、自由が丘住宅との間で同社が造成する団地に関し、財産交換契約を締結していたところ、自由が丘住宅は、昭和六〇年七月三〇日に、津地方裁判所に、鈴鹿市を相手方として、「鈴鹿市との間で、昭和四一年一一月一二日に交わした財産交換契約に基づく公園設置義務の存在しないことを確認する。」との債務不存在確認請求訴訟を提起したが、昭和六三年八月一六日、原告である自由が丘住宅の請求を棄却する旨の判決がなされた。自由が丘住宅は、控訴をしたが、控訴審において、平成二年一二月二五日、自由が丘住宅から鈴鹿市に対する金員の支払と土地の譲渡を約する和解が成立し、右和解に関連して、亜細亜エンタープライジズが、被告が理事長を務めていた鈴鹿市土地開発公社に対し、土地を譲渡する旨の土地譲渡契約が締結された。しかし、亜細亜エンタープライジズは、鈴鹿市土地開発公社より度々催告を受けていたにもかかわらず、右契約上の債務の履行を怠っていた(乙八〇、被告本人)。

5  原告は、右和解に関し、平成三年三月六日付の伊勢新聞に、「鈴鹿公園整備めぐる訴訟で和解」「書き換え文書で市が完成を強要」「契約などの存在否定 業者主張全面受け入れ」との見出しの記事を掲載し、さらに、平成三年三月七日から同月一六日にかけ、伊勢新聞の第一面に、「争点鈴鹿公園整備訴訟」と題する連載記事(連載記事一〇回)を掲載したが、その見出しは、「業者を追いつめた行政 喜劇のはずが一転」「常識的な範囲外れる 議会も追及不徹底」「便宜関与の疑いも 払い下げ申請書類急増」「県、市間に食い違い お粗末な道路行政」「違法承知で契約?『覚書』の締結食い違い」「形式として『覚書』 整備以外の条件押し付け」「行政の常とう手段住民運動を逆手に攻撃」「“善意”を“義務”へ 巧みな市職員の話術」「契約の形に間違い 市と業者の認識が共通」「危険な司法まかせ 当事者と対話回避の行政」などというものであって、その内容は、概ね、右訴訟の経緯について、自由が丘住宅の立場から、被告、鈴鹿市、鈴鹿市職員の対応などを批判するものである。なお、平成三年の鈴鹿市長選挙が、同年四月二一日に迫っていた(乙一八の1ないし11、八〇、被告本人)。

6  自由が丘住宅は、同社の所有する建物の地盤が沈下した原因は、付近に敷設してある鈴鹿市水道部所管の水道管の漏水にあるとして、鈴鹿市に対し、昭和五五年一〇月以降、多額の補償金の支払を請求し、両者の間で繰り返し交渉がなされ、鈴鹿簡易裁判所に調停事件も係属したが、平成二年一二月ころ調停は不調により終了した。その直後から、C'が、被告あるいは鈴鹿市に対し、口頭又は文書により、多額の補償金の支払の要求をするようになった。C'は、平成三年三月一四日ころ、被告に対し補償金二億円余を支払って貰いたいと申し入れた際、被告の答弁を不満とし、被告に対し、前記の連載記事に関連して、「父親である社長は、今連載中の記事を二〇回まで連載する予定で原稿が既にできている。その原稿に自分も目を通した。女性問題も入っている。」と述べた(乙八〇)。

7  そのため、被告は、平成三年三月一六日、Cと話し合ったところ、Cは、その席でも、一方的にまくし立てていたが、その翌日からは、伊勢新聞紙上における前記の「争点鈴鹿公園整備訴訟」と題する記事は、連載されなくなった(甲九一、乙八〇)。

8  被告は、平成四年四月五日付「広報すずか」紙上の「ふれあい」欄に、「五〇周年を迎えて―戦争の落とし子だった鈴鹿は今、健やかな青年期―」との題で鈴鹿市の歴史に触れたエッセイを掲載した。右エッセイ中には、司馬遼太郎の著者「この国のかたち(文芸春秋社刊)」の論説に触れつつ、「軍部は国民や天皇すらだまし通し、国会に対しては『軍ノ統帥・指揮竝之ガ結果ニ関シ、(中略)論難スルノ権利ヲ有セズ』(『統帥参考』)と釘を刺して暴走体制に入る。軍部は統帥権を超法規と定め、統帥機関を『憲法上ノ責任ヲ有スルモノニアラザル』『直接ニ国民ヲ統治スルコトヲ得』とするなど背筋が寒くなるほどの傍若無人ぶりであった。」と述べた部分がある。なお、「統帥参考」には、被告が引用した「軍ノ統帥・指揮竝之ガ結果ニ関シ、質問ヲ提起シ弁明ヲ求メ又ハ之ヲ批評シ(中略)論難スルノ権利ヲ有セズ」との記載、「統帥権ノ本質ハ力ニシテソノ作用ハ超法規ナリ」との記載がある(乙二一、二二、二六、八〇被告本人)。

9  これを読んだCは憤慨し、被告に対し、「広報すずか」紙上の「ふれあい」欄の記載が、祖国日本の栄光を信じて散華した戦友や先輩を冒し、その所論が捏造され、統帥権を批判し、言語道断である旨指摘し、有数日刊紙五誌以上に納得のできる回答を公開掲載することを要望する旨の公開質問状を送付した。原告は、Cが、被告に公開質問状を送付したことを取り上げ、平成四年六月二日付伊勢新聞第一面のトップ記事として、「鈴鹿広報で旧軍部非難 市長に公開質問状 本社社長 引用部分はねつ造 誤りの議論を展開」との見出しで、次のような記事を掲載した(乙二三、二四、八〇、被告本人)。

「Y市長は、四月五日付の『広報 すずか』誌の『ふれあい』欄で、軍部が国民や天皇すら騙し通して暴走体制に入ったとして、『軍の統帥・指揮竝之ガ結論ニ関シ、(中略)論難スルノ権利ヲ有セズ』という文章を引用し、出典は『統帥参考』と記している。(中略)軍部の行動を非難している。これに対し、C社長は、引用部分がいずれも『統帥参考』に記述されていなかったことを指摘。また、軍事上必要な範囲で直接に国民を統治することができるということは、憲法三一条に認められていると統帥綱領に記されているにもかかわらず、Y市長が、あたかも軍部が超法規と定めたように決めつけていることに対し『戦友や先輩を冒するものであり、放置することができぬ』としている。公開質問状は、(中略)なぜ引用文を誤り、間違った解釈をしたかを尋ねて、納得のできる回答を十日までに、市広報や伊勢新聞、そのほか有名日刊誌五誌以上に掲載することを求めている。」

そこで、被告は、Cに対し、反論のための回答書を送付した(乙二五、八〇、被告本人)。

これに対し、原告は、平成四年六月一二日付から同年七月七日付までの伊勢新聞第一面に、「民族精神の健全な発展は国家の安全と繁栄と平和に連なる」「Y鈴鹿市長に物申す」と題するC執筆にかかる連載記事を一〇回にわたって掲載した。平成四年六月一二日の記事には、「鈴鹿市長の『すずか広報』を見て『何を』という怒りが心頭より発して放置しておけない」と執筆の動機を述べ、その見出しは、「軍部批判は墓穴 逸脱した広報紙」「統帥権を誤解」「わが軍隊は皇軍」「憲法文語を歪曲」「一貫しない回答」「そぐわぬ市長職 だれがための僧職」「世を毒す刹那主義」などであり、本文においても、「苟も市長たる者が、司馬遼太郎なる作家の随筆を引用して、市民を凌辱し、日本国民に恥辱を与え」「狡知を傾けて、己が至らざる知能を隠蔽する手段として、他を陥れんとする」(六月一二日付)「市民を愚弄する」(六月一三日付)「偏見と偏向、捏言」「市民を愚弄し、意図の下に、偏向した作為」(六月一六日)「統帥権という絶対的な大権を、理解していない愚論である」(六月一七日)「市民に対する侮辱であり、先輩に対する凌辱」(六月一八日)「憲法文語を、なにゆえわい曲するか」「鈴鹿市長、血迷ったのではないか」「日本の国土になじまぬ人種」「国賊呼ばわりされても二言はない人々」(六月一九日)との記載があり、その内容は、概ね、統帥権解釈を展開しつつ、被告を厳しい表現で批判するものであった。

平成四年六月二二日付の伊勢新聞に掲載された記事には、被告が僧職にあることに触れつつ、「僧職にあって、竜光寺を離れず、鈴鹿市長を司(つかさど)ることは副(そ)ぐわない。それはいろいろあるが、僧職の衣には、大きな袖がある。お布施のための物入れであるというが、その大きな袖にお布施を頂くことにより、見、覚えていない僧家を継ぐ二代目は、それが性(さが)になっているからであるが故にであろう。」との記載があった(乙二八の1ないし10、八〇、被告本人)。

こうした連載記事の掲載のため、被告側と原告側で事態解決のために何度か話し合いの機会が持たれ、平成四年六月二二日の被告とCの話し合いでは、被告がいろいろな見解があり得ることを述べて、理解を求めたのに対し、Cは、繰り返し、厳しい表現で謝罪を要求した。そこで、被告が、措辞に不適切な箇所があったかも知れないと言ったものの、謝罪を拒絶したため、話し合いは物別れに終わった(乙八〇)。

にもかかわらず、原告は、被告が謝罪した事実もないのに、平成四年七月七日付の伊勢新聞に、「謝罪にも一貫性欠く」との見出しの下で、「私に陳謝する意で謝ったその言葉の要点は(以下略)」とのC執筆にかかる記事を掲載した(乙二八の10、七四)。

10  吉田充は、平成四年八月一二日、被告や鈴鹿市政を批判した「第二六条鈴鹿市役所に関する質問コーナー

嘘ですか?本当ですか?」と題する書面を、各方面に配布した(乙三二、八〇、一〇二)。

原告は、これに関し、平成四年八月二九日付の伊勢新聞に、「行政腐敗の質問状配付」「政治姿勢かかわる」などの見出しのもとで、「年金問題は、昭和六二年四月の市長選挙でY氏が公約したとされるもので、鈴鹿氏漁協の中浜喜久男組合長をはじめ『年金倍額』を選挙演説で聴いたとする市民は多い。」との記載のある記事を掲載した(乙三三)。

被告は、鈴鹿市長選挙において、年金を倍額にすると公約したことはなく、また、中浜喜久男も年金倍額を選挙演説で聴いたことはなかったため、中浜喜久男は、原告に対し、取材もせずに虚偽の事実を記載したことについて抗議をした。これに対し、原告報道部長山本藤雄は、事実と確信している旨の回答をしたため、再度中浜喜久男が抗議をしたところ、平成四年九月二〇日ころ、C及び山本藤雄が、中浜喜久男の下へ来訪し、謝罪をしたが、中浜喜久男の要望にかかわらず、原告は、誤報である旨の訂正記事は掲載しなかった(乙三四の1ないし4、八〇、被告本人)。

11  平成四年八月終わりころから同年九月初めころ、「二六条の説明について」と題する本件文書が配布されたところ、本件文書は二六頁に上るもので、体裁上は、前記の「第二六条鈴鹿市役所に関する質問コーナー」の説明ともいうべきもので、その内容は、鈴鹿市の市長を務める被告と関係業者の癒着、被告による鈴鹿市職員の情実任用、鈴鹿市の出入業者や被告の身内の情実登用、公費の濫用、選挙違反、被告の女性関係など広範囲の事項にわたっている。原告は、そのころ、本件文書を入手した。そして、被告は、平成四年九月九日、鈴鹿市助役田中良雄から、同人が鈴鹿警察署長より、本件文書が出回り、伊勢新聞がそれを書くと言っているから注意をするように忠告された旨の報告を受けた(乙三五、八〇、証人山本藤雄、被告本人)。

12  原告は、平成四年九月一〇日付伊勢新聞にC執筆にかかる「日本よどこへ行く《1》」と題する連載記事を掲載したが、その中には、被告を念頭において、「どこかの市長は法学部卒だと、選挙公報に記しているが、その大学に法学部はありません。」との記載がある(乙二九)。

右記事は、被告が「選挙公報」において、学歴詐称をしているとの内容であるところ、被告は昭和三七年早稲田大学第一法学部を卒業しているので、平成四年九月一一日、「学歴詐称」の虚偽記事で名誉を毀損されたとしてCを刑事告訴するとともに、原告及びCに対し損害賠償と謝罪広告を求める民事訴訟を提起した(乙三〇、八〇、被告本人)。

13  C'は、平成四年九月一一日、被告と共通の知人であるFに対し、電話をかけて、本件文書を念頭において、「実は手元に週刊文春一冊分くらいのパソコンで打ち出し、印刷した文書があります。吉田充が伊勢新聞社に持ち込んできた。」と話し始め、その文書には、被告が役所の女子職員を強姦し、その事実をもみ消すために、事情を知っている女子職員の上司を昇格させて口封じを図ったとか、青年会議所のメンバーの村木、金田両名の両証言によると、被告はイルクーツクで買春をし、しかも一晩三人であったと書いてあると言い出し、「この文書の中身について自分がFさんに尋ねて答えてくれたら、文書の中身について記事にしてもよいか。」と聞いた。

さらに、C'は、同年九月一二日、Fとの電話による会話の中で、同人に対し「自分の手元にある例の文書で伊勢新聞に書いてやる。」との趣旨のことを言った(乙三六、七七、八〇、被告本人)。

14  右の経緯をFから聞いた被告は、原告が、「週刊文春一冊分くらいのパソコンで打ち出し、印刷した文書」(本件文書のこと)を用いて、伊勢新聞紙上において、被告を個人攻撃する動機も可能性もあるものと判断し、平成四年九月一六日に、別件仮処分申立事件の申立てをした(甲二七、乙八〇、被告本人)。

15  被告の後援団体の事務担当者であるGは、平成四年九月一六日、Hを尋ねたところ、同人が本件文書を所持しているとのことであった。Gが、その場に来合せたHの兄のIに、本件文書の入手方を聞くと、「九月九日に伊勢新聞が持ってきた。」とのことであり、後日、C'が持参したものであることが判明した。Gは、Hから本件文書のコピーをして貰い、コピーを被告の実弟に渡した。被告は、平成四年九月一七日、右経緯により入手した本件文書に基づいて、津地方裁判所に、仮処分申請補正書を提出した(甲二八、乙三五ないし三七、八〇、被告本人)。

16  Cは、別件仮処分申立事件の審尋手続において、「元は被告の支持者であった。今は嫌いだ。嘘を言うから。」「本件文書の約八割は真実と思っている。」と発言した(甲三一)。

17  前記第二の一7のとおり、被告は、別件仮処分決定後、別件仮処分申立事件を取り下げ、別件本案事件の請求を放棄したが、その主たる理由は、別件仮処分申立事件及び別件本案事件は、いずれも本件文書中本件記載部分に基づく記事の掲載の禁止を求めるものであったところ、別件本案事件の答弁書において、原告が、本件文書に基づいて記事を掲載する考えがない旨明言し、伊勢新聞にも、同旨の答弁書を掲載したため、原告が本件文書に基づく記事を掲載するおそれがなくなったものと判断したこと、訴訟の進行に伴い、本件文書に記載されている個人の証人尋問などが必要となって同人らに迷惑がかかることが懸念されたためである(甲三四ないし三六、乙八〇、被告本人)。

二  人格権に基づく報道の差止め

人の名誉は、生命、身体とともに極めて重大な保護法益であるところ、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであり、人の品性、徳行、名声、信用などの人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害されるおそれがある場合には、人格権としての名誉権に基づき、将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解される。その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判などに関する報道、出版の事前差止めの許否については、その対象が、公共の利害に関する事項であるため、原則として許されないが、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限って、例外的に事前差止めが許されると解すべきである。

三  別件仮処分決定の内容

別件仮処分決定の主文は、「債務者は、債務者が発行する伊勢新聞に、別紙『二六条の説明について』と題する文書中、黒枠で囲んだ部分(本件記載部分)に基づく報道記事及び論評記事を掲載してはならない。債務者のその余の申立てを却下する。」というものである。右のとおり、決定主文の文言上、禁止の対象は本件記載部分「に基づく報道記事及び論評記事」となっていることに加え、同決定書の理由中には、主文の範囲及び態様において認容するのが相当である旨記載されていることからも明らかなように、別件仮処分決定によって禁止されている行為は、本件記載の部分のみに基礎を置く報道記事及び論評記事の掲載に過ぎないと認められる。したがって、本件記載部分の内容たる事実について、原告が報道機関として独自に調査、取材を行い、その取材活動の結果に基づいて、記事を掲載することは、別件仮処分決定によって何ら制限されていないものというべきである。

四  本件文書の記載内容

1  本件文書の記載内容のうち、別件仮処分決定によって差止めとなった本件記載部分は、別紙二のとおりであるところ、本件記載部分は、その表現も具体的詳細で、かつ、断定的であり、その内容は、鈴鹿市長を務める被告個人の関与を明示又は暗示して、被告と関係業者の癒着、被告による鈴鹿市議員の情実任用及び出入業者の情実登用、公費の乱用、選挙公約違反のほか、被告の乱交パーティー参加、不倫、強姦などの犯罪も含めた女性関係など広範囲な事項にわたるものであって、被告の名誉を著しく毀損するものであって、その作成者及び作成経緯も不明である。

2  そして、証拠(甲一ないし二六、三一、六三、六四、七三、七四、八〇ないし八二、八五、一〇一、乙四〇、四一の1ないし7、四二ないし四九、五〇の1及び2、五一、五二、五三の1ないし3、五四ないし五六、五七の1ないし13、五八、五九、六〇の1及び2、六一、六二の1ないし22、六三、七〇、七六、八〇、八一の1ないし3、八二、九二ないし九五、九六の1ないし3、九七、一〇一、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、その記載内容に関連して、以下の事実が認められる。

<(一)から(一〇)省略>

(一一)(1) 証拠(甲二四、二五、六三、六四、七三、七四、八〇ないし八二、八五、一〇一、乙七〇、七六、八〇、八一の1及び2、九二及び九三、九五、九六の1ないし3、証人J〔なお、同人の証言中以下の認定に反する部分を除く。〕、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件記載部分15番の記載のうち鈴鹿市職員の採用に関する記載に関連し、以下の事実が認められる。

平成三年度における鈴鹿市職員の事務職員の採用予定数は、大卒、短大卒など全てを合わせて二五名程度とされていたが、事務職員の採用数は、大学卒が三六名であり、他に短大卒及び高校卒などを合わせると五〇名であった。平成三年度における、鈴鹿市職員の募集要項によれば、第一次試験の内容は、事務職・保母では、適正検査、教養試験及び国語、技術職では、前記三つのほかに専門試験、消防職では、前記三つのほかに体力測定とされ、第二次試験の内容は、面接と作文とされていたが、実際には、在学時の学業成績が一〇パーセント、クレペリンの結果が一〇パーセント、一般教養の得点が四〇パーセント、国語Ⅰの得点が二〇パーセント、専門又は国語Ⅱの得点が一〇パーセント、受付時における服装、評定が一〇パーセントの配点とされ、これらを総合して総合得点が決まっていた。また、鈴鹿市の人事担当職員は、採否を決するに際し、総合得点やその内訳のほか、市長、助役、収入役、「市民の会」、市議会議長、市議会議員、国会議員、県議会議員などの推薦者が記載された個人データ表を作成していた。

同年度の第一次試験の合格者を決めるに当たっては、総合得点のほか、当時鈴鹿市職員課人事係長であったJらが行った第一次試験当日における受験中の態度の観察状況、他の志望先・就職先の有無などが考慮されていた。なお、同年度の個人データ表によれば、大学卒の事務職員で総合成績三四位までの三六名のうち、採用となった二一名については、推薦者の記載のある者と記載のない者とがあるが、不採用となった一五名については、いずれも推薦者の記載がなく、総合成績三七位以下で採用された一五名については、いずれも推薦者の記載があり、うち総合成績で最下位の者は七一位であるところ、総合成績三四位の者と七一位の者との間には、総合成績で一三点の得点差がある。そして、同年度の第一次試験に合格した者で、第二次試験において不合格となる者はいなかった。平成四年度における採用方法もほぼ同様のものであり、同年度においても、推薦者が記載されている個人データ表が作成されている。

前記の平成三年度及び平成四年度の職員採用試験の際に作成された受験生の個人データ表が、外部に漏洩し、平成五年一一月二九日、原告は、「群抜く市長推薦 証人・Y市長」との見出しで記事を掲載し、翌三〇日には、その他の各紙でも報道され、情実採用があったのではないかとの疑惑を招いた。このため、鈴鹿市民が、平成五年一二月一四日、被告を津地方検察庁に告発し、津地方検察庁が、平成三年度の鈴鹿市職員の採用試験に関し第三者収賄及び地方公務員法違反を、平成四年度の鈴鹿市職員の採用に関し地方公務員法違反を、それぞれ被疑事実として、捜査をなしたが、前者については、平成六年七月二一日、後者については、平成七年一月五日、それぞれ被告に対し嫌疑不十分を理由に不起訴処分通知をなした。また、情実採用との疑惑については、平成六年三月の定例市議会においても問題とされた。

前記のとおり、平成三年度については、募集要項を上回る採用がなされているが、退職予定者数の予測が不確定であり、三重県地方課から採用を抑制せよとの指導を受けていたこと、小人数であるから難しいという印象を与えることによって優秀な人材を確保しようという思惑もあったことなどから、採用予定数の数字が、抑制されていたのに対し、週休二日制の完全導入などを見越して事務量の増大が見込まれ、また、鈴鹿市と人口及び財政規模が類似する津市とを比較しても、鈴鹿市の職員数は圧倒的に少なく、増大する行政需要に対応するためには、新規職員の増加が必要であり、市議会もその必要性を理解していたことから、募集要項に記載された採用予定数を上回る採用がされたものである。

なお、本件記載部分15番にいう土木業者の子息は、中部大学工学部を卒業し、技術職員として平成四年度の鈴鹿市職員採用試験を受け、鈴鹿市職員として採用されているが、総合成績において、採用人数以内の順位にあり、個人データ表には、推薦者は記載されていない。

右認定に反するその他の証拠は採用できない。

(2) 以上のとおり、平成三年度及び平成四年度の鈴鹿市における職員採用試験においては、募集要項に記載された試験内容以外の要素を加味して採用が決定されていた点、採否を決するに際し、推薦者の氏名を記載した個人データ表が作成されていた点において、情実採用との疑惑を招き易いものであったことは否定し難いが、それ以上に、本件記載部分15番記載のような被告が「市民の会の、メンバーの中から、それらの子息を優先的に便宜を計らってきた。」との事実や土木業者の子息が二〇〇万円を龍光寺に寄付して採用されたとの事実は認めることができない。

(一二)(1) 証拠(甲一ないし二三、二六、八〇、乙八〇、八一の1、証人山本藤雄、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件記載部分15番ないし17番の記載のうち被告ないし龍光寺に対する寄付及びこれと被告の職務行為との関連性に関する記載に関連し、以下の事実が認められる。

平成五年九月当時、政治資金規制法に基づき、三重県選挙管理委員会に届け出られている被告を後援する政治団体は、「市民の会」及び「励ます会」の二つであり、被告が、鈴鹿市長に当選した後も、活動を続けていた。三重県公報によると、平成三年度において、政治団体である「ケヤキの会」及び「サツキの会」から「励ます会」及び「市民の会」に対し金員の寄付がなされている。かかる処理がなされているのは、「サツキの会」及び「ケヤキの会」は、被告が鈴鹿市長に当選した際に、被告を応援する趣旨で設立された団体であるためであり、そのため、両会の主たる役員は被告の親族または知人が務めており、両会の事務所所在地及び電話番号は同一となっている。「ケヤキの会」及び「サツキの会」の収入の大半は、会員の納入する会費であるが、月額二万円の会費のほか、一回につき約五万円の臨時会費が年二回から三回徴収されることもある。会員の中には、鈴鹿市の指名業者も含まれており、平成三年度において鈴鹿市の職員に採用された者の近親者や職員採用時における推薦者となっている者も寄付者となっている。

(2) 以上のとおりであって、前記の政治団体の会計処理の当・不当はともかく、これらの会計処理は、いずれも政治資金規制法に基づいて適法になされ、事実関係についても三重県公報を調査すれば、容易に判明することであって、ことさら被告が職務行為との関連性を隠蔽するためにこれらの会計処理をしていたものと認めることができないのであって、龍光寺にお布施として寄付された見返りに、鈴鹿市職員採用試験において市民の会のメンバーに便宜を図ったとの趣旨の本件記載部分15番及び16番は、ことさら事実を歪曲した虚偽の記載と言わざるを得ないし、本件記載部分17番の記載は、その前後の文脈に照せば、被告に対する不公正な誹謗中傷といわざるを得ない。

<(一三)から(二〇)省略>

以上を総合すれば、本件記載部分の記載は、その事実の存否と表現態様などに照らし、いずれも事実をことさら歪曲し、あるいは、事実無根であるものであるか、被告に対する著しく不公正な誹謗中傷といわざるを得ない。

五  別件仮処分決定の許容性

1  本件文書中の本件記載部分は市長の適格性に関するもので公共の利害に関する事項にかかわるものではあるが、前記第三の四認定のとおり、本件記載部分は、いずれも事実をことさら歪曲し、あるいは、事実無根の記述ないし被告に対する著しく不公正な誹謗中傷であって、被告の名誉を著しく毀損する内容である。

2  前記第三の一認定のとおり、鈴鹿市と自由が丘住宅及び亜細亜エンタープライジズとの紛争、その過程で生じた被告とCの間の感情的な軋轢の存在、そして、これを背景としてなされた被告に関する連載記事中には、被告の名誉を毀損し、真実性が認められない内容が散見されること、Cないし原告はこのような執筆態度をあえてとり続けたことなどに照らして考えるに、もし、原告が、本件記載部分のみを資料とし、法的に要求される取材をしないで本件記載部分に基づく報道記事及び論評記事を掲載することがあるとすれば、その行為は、多分に被告に対する悪意的感情の発露としてなされるものと見る余地があり、専ら公益目的に基づくものとは認め難いものである。

3  被告の地位及び原告発行新聞の性格・発行地域・部数に照らせば、本件記載部分に基づく報道記事や論評記事を掲載されれば、被告が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があったことは明らかである。

4(一)  ところで、報道ないし出版の事前差止めが認められるためには、将来において名誉権が侵害される客観的な危険性があることが必要である。この点、原告は、名誉を毀損する内容の記事そのものが現実に存在していないのに、事前差止めを認めることは許されないと主張するが、確かに、現実に記事が存在しているか否かは、危険性の有無の判断の一資料になりうることは否定し難いが、あくまでも一資料に過ぎないものであって、現実にそのような記事が存在しなくても、当事者間の関係、当事者の言動、当事者の有する資料などその他諸般の事情から、名誉を毀損する記事を掲載する客観的な危険性があるものと認められれば、事前差止めも許されるものと解される(特に、本件のように、新聞〔日刊紙〕報道による名誉毀損が問題となる場合、現実に記事となっていることを要するものとすると、仮処分の決定を待っている間に、記事を掲載されてしまうことになる。)。

(二)  そこで、別件仮処分決定当時、原告が本件文書中の本件記載部分に基づく報道記事及び論評記事を掲載する危険性があったか否かについて判断する。

前記第三の一認定のとおり、別件仮処分申立時に至るまで被告と原告代表者であったCとその関係会社との間には、数年に渡る軋轢が存在していたところ、特に、平成四年の春ころからは、被告が、鈴鹿市の広報紙に統帥権に関する記事を掲載したことに端を発して、両者の対立が激化していた上、被告が、Cを「学歴詐称」との虚偽の記事の掲載による名誉毀損を理由に告発し、さらに、別件仮処分申立事件の申立てに及んだことにより、被告とC及び原告関係者との間の感情的な軋轢は回復し難いものとなったこと、右対立激化の原因となった事柄の性質、伊勢新聞上の被告に関する連載記事などの表現方法、態様、内容及び回数のほか、交渉場面や審尋手続における発言内容からして、Cが被告に対して抱いていた感情には激しいものがあったこと、原告が別件仮処分申立当時既に本件文書を所持しており、小林千三が本件文書を伊勢新聞に掲載する趣旨の発言をしていたことなどに照らせば、原告が、法的に要求される程度の取材を経ることなく、本件文書の名誉毀損部分の全部又は一部のみを資料に用いて伊勢新聞紙上に記事を掲載する危険性があったと見ることができる。したがって、被告の別件仮処分申立事件の申立てには、十分な理由があったものというべきであり、違法性はなく、また、被告が別件仮処分申立事件を申し立てたことについて過失もない。

(三)(1)  加えるに、証拠(乙七の1ないし4)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、以下のとおり、本件記載部分の一部について、調査、取材を独自に行って、その取材結果に基づいて、平成四年一一月二〇日から同年一二月二日までの間に、一〇回にわたって、「亀裂の構図 鈴鹿市政の現実と行方」と題する記事を伊勢新聞紙上に連続して掲載したが、この連載記事は、本件記載部分5番、11番ないし13番、22番に関する記事であることが認められる。このように、原告は、本件仮処分決定後に本件記載部分の一部についての報道を現実に行っているのであるから、原告の正当な報道は制限されていない。

(2) また、原告は、前記第三の四2(二)認定の事実に関する報道を別件仮処分決定などにより制限された旨主張するが、前記第三の三記載のとおり、原告が独自に調査、取材を行い、その取材活動に基づいて、記事を掲載することは何ら制限されていないし、原告が平成三年度及び平成四年度の鈴鹿市の職員採用試験に関する報道をしたのは平成五年一一月二九日であって、それに先立つ別件仮処分申立事件の申立てから同事件の取下げに至るまでの間に、右報道にかかる事実について、原告が独自に取材をしたり、記事を掲載しようとしていたことを認めるに足りる証拠もない。

(3) なお、原告は、本件仮処分決定により、矢橋の土地の交換に関わる疑惑についての報道を制限されたと主張するが、右事実は、本件記載部分とは無関係であるので、右主張は失当である。

六  別件本案事件の提起による不法行為の成否

原告は、被告が別件本案事件を提起したことを違法である旨主張するが、前記判示に照らせば、被告に訴権の濫用などはないから、別件本案事件の提起に違法性のないことは明らかである。

七  名誉毀損の成否

1  民事訴訟においては、当事者が自由に忌憚のない主張・立証を尽くしてこそ、私的紛争の適正な解決という訴訟の目的が達成され得るのであるから、仮に、他人の名誉に関わる言動があったとしても、ことさら名誉毀損を目的とする陳述あるいは虚偽事実の陳述、著しく不穏当な表現内容・方法による陳述などでない限り、正当な訴訟活動として、違法性は阻却されるものと解すべきである。

2  証拠(甲二七ないし三〇、三三ないし三六)及び弁論の全趣旨によれば、被告が別件仮処分申立事件及び別件本案事件においてなした原告や原告代表者の報道姿勢についての記述は、前記第三の一認定の各事実から窺える原告の報道姿勢に対比すると、それぞれ当該事件における被告の申立てあるいは請求を理由あらしめるために必要な事実について、これを裏付ける相当な疎明資料や立証方法に基づいてなされていたものと認められ、その表現態様においても、相当性の範囲内にとどまっているといえるから、原告の名誉を毀損あるいは侮辱するようなものではない。仮に、原告の名誉に関わる部分があるとしても、前記1のような違法な態様には属さないから、正当な訴訟活動の範囲内にあるというべきである。

3  前記第二の一5記載の本件報告書は、「励ます会」会長北村六治の作成にかかる文書であって、被告が、これに関与した証拠はないから、被告について不法行為の成否を問擬する余地はないし、その記載内容も、別件仮処分決定の内容をほぼ正確に要約したものであって、原告の名誉を毀損するおそれのないものである。

また、証拠(甲三八ないし五九)によれば、別件仮処分申立事件及び別件本案事件の経緯が各新聞により報道されたことが認められるが、かかる第三者によってなされた新聞報道の結果について、被告が不法行為に問擬される余地のないことも明らかである。

八  結論

以上のとおりであるから、被告には不法行為は成立しないものと判断される。よって、これを棄却するものとする。

(裁判長裁判官山川悦男 裁判官新堀亮一 裁判官藤井聖悟)

別紙<省略>

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